混ぜるな危険(公開版)

非公開版のほうは別ルートでどうぞ

Public Domain Mark
本作品には、知られている限り、著作権の制約が存在していません。

カザールについてのあれこれ

AD2014.03.14(FRI)PbdP>

文字が化けている場合はOSもしくはブラウザがUTF-8で表示できるようにして下さい

できなかった方は御縁がなかったと諦めて またの機会の閲覧を(~~)

۞::U+06de

ARABIC START OF RUB EL HIZB

⠁⠂⠃⠄⠅⠆⠇⠈⠉⠊⠋⠌⠍⠎⠏⠐⠑⠒⠓⠔⠕⠖⠗⠘⠙⠚⠛⠜⠝⠞⠟⠠⠡⠢⠣⠤⠥⠦⠧⠨⠩⠪⠫⠬

ブライユ点字(U+2801~)

ⵥ::U+2D65 TIFINAGH LETTER YAZZ

𐏊::U+103CA OLD PERSIAN SIGN AURAMAZDAAHA

って え もしかしてアフラマズダかこれ?

f:id:PbdP:20140314135551p:plain

UBUNTUMONO REGURE UTF-8 で表示してるんだが

こんなんhtmlでどのブラウザでもおkとはならんだろ

強制的にフォントを埋め込むのもなあ・・・

(闘いは続く)

˹˺˻˼::U+02f9_U+02FB_MODIFIER LETTER HIGH TONE(s)

切りがないから今朝はここまで

以下(<--◎ruskhagbot.txtをハ>カ置換したもの)

ルティアーノがやれと言ってきたから初めてみたが…なんなんだこれは。

何故日本では俺の名前の表記を統一しないのだ?カザールで十分だろう。

俺は7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北からコーカサス黒海沿いに栄えた遊牧国家だ。

ルティアーノは一応俺の義妹という扱いだ。後継者としてアズリーティスに認められたからな。

ユダヤに改宗したのは何故か、とよく聞かれるがそれは未だに解らん。その当時の奴等に聞いてほしいものだ。

バシル…厭アズリーティスと呼んだほうがいいのか…?それともアズ、…か?

一時期だがアズリーティスとは仲は良かった。今は其れ程でもないが………。

現代はユダヤ人が迫害されていると聞くが…哀しいものだな……。人間というものは解らんな。

ルティアーノ(@Ruskhagbot)……思えばコイツがバシルとの良好な関係を壊したのか。

俺の子孫は各地に結構散らばっているようだな。元気にしているといいが。

帽子の中?気にするな。…言っておくが薄くなってはいないぞ。無いと落ち着かんだけだ。

他の奴等は俺に対して「とっつきにくい」と言うようだがそうでもない…はず、だ。

ち、ッ!ルティアーノ!髪を編み込むなと言ってるだろうが!!

今は{hour}時{minute}分だ。如何なる時間でも己の仕事はちゃんとするようにな。

…、む……すまんな、集中していなかったようだ…

始まりはカスピ海沿岸の草原の地だ。だから今でも草原に寝転がりたくなるな。 …うん?合わないだと

戦士民族として存在していた時もあったな。まだ力は衰えていないはずだが。そうだな、手合わせでもしてみるか?

ペルシアか、彼奴とは何回もやりあったな…ククク

アラブのヤツは好かん。何度も何度も来おって!一々しぶといのだ…!

ビザンツ帝国、もとい東ローマ帝国を一時期支配していたレオン4世という人間がいるが、そいつは俺のとこの人間だ。「カザールのレオン」と呼ばれていたらしい。

アラブのヤツがいなくなったと思ったら今度は雄ルスの奴等か…!懲りんな……

俺だって好きで戦っているわけではない。あいつらが仕掛けてくるからやり返す、それだけだ。

ボルガのロストフ、ここでカザール人の息子とルス人の娘が婚姻を交わしルティアーノ、もといルーシ・ハン国が成立した。

髪を伸ばしている理由か?切るのが面倒くさいからに決まっているだろうが。たまにルティアーノに弄られるがな。

昔は白色、黒色で分けられていたようだがそれは間違っていると思うぞ。肌の色如きで差別食らうなど有り得んしな。人間誰しも平等なのだろう?

ふ…ッ 最終的に俺は邪魔になったみたいだ……!ククククク、そう思うなら思っておけばいい!

く…この、貴様ッ!マフラーを取るな!

……?何だ貴様。俺の顔に何か付いてるか

フン、また彼奴等か!懲りん奴等だ……!

俺は争いをしようとは思わんのだがな。人間は解らん…

民族的にはトルコ系の白人だ。タタール人とも言われたな

アズ…リーティス……… くそ、ッ

結局は俺一人だ……敵も、味方も。…俺には居ない……く、…ふはははは…!

そういえば俺は世界史の中ではタブーとされていたんだったな…ふん

貴様は働きすぎだろう、そろそろ休むといい。何か食うか?

偽物などと言うでない!俺の国民が決めたことなのだ!それ以上偽物と言うのであれば俺も手段は選ばんぞ…?

ぶどうか、好きだぞ。イティルにはぶどう園があったからな。腹が減ったときはよく食ってた

1992年だったか、ようやくイティルの遺跡が発掘されたようだ。なかなかに嬉しいものだ

飽きたらブロックしろ。リムーブではなく、な。

あ……、ッ …くそッ、………くそ、ッ

……………、…ぅ、ぁ…ッ

義妹が、…でしゃばりおって……!

…俺は、何を間違えた?何故こうなってしまったのだ?解らん…ッ!くそ、ッ!!

じろじろと人の顔を見るな。なにかついてるか?

これは何だ、リボルバーというのか?…フン、今の世はこんな小さなもので人間を殺せるようになっているのか。くだらんな

【中の人より】現在調整中です。リプ返しなどまだ不十分なとこありますがよろしくお願いします。

…………フン

リーベルという兄がいるのか…邪魔そうだな。フン。

邪魔をするな、目障りだ。

俺は今まで一体何をしてきたんだろうな。全てが無駄だったのか?…わからん……!

あの頃は、まだ、幸せだったのにな。

 

http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fha403.html

No.a4fha403

作成 1998.1

ソ連崩壊を機にスタートした

「カザール王国」発掘プロジェクト

●1992年10月号の月刊『Bart』(集英社)に、「カザール王国」発掘に関する記事が載せられていた。もちろん、「カザール王国」の発掘に関しては、朝日新聞などをはじめとする主要メディアでも報道されており(TV特集もあった)、珍しいことではないが。

この『Bart』での特集の大事な箇所をピックアップして大ざっぱに内容を紹介したいと思う。

●この特集(全5ページ)は報道写真家の広河隆一氏によって書かれたもので、タイトルは「ユダヤ民族の歴史を変える大発見か!? カスピ海に沈む謎のユダヤ帝国を発掘した」となっており、

その下に小文字で「カスピ海に浮かぶ小島で、ユダヤ民族・伝説の巨大帝国“カザール”の都、イティルの遺跡発掘に成功した。海中に沈んだかつての都は、民族の由来そのものがそしてその受難の歴史が、大きな誤解に発していた可能性を物語る。はたしてナチスに殺された人々はどこからやってきたのか? そしてイスラエルはどこに建国されるべきだったのか?」と書かれている。

●広河氏によると、「カザール王国」発掘プロジェクトは、彼がロシア南部のダゲスタン自治共和国で「カザール王国」の遺跡の取材をしていた1991年の9月に持ち上がったという。そして1992年の4月に、ダゲスタン大学歴史学部長のマゴメドフ教授とカザールに関するデータを洗い直し、首都イティルの位置を予測したという。

●広河氏は語る。

「……アルアブバフから360kmのところにイティルがあるはずだった。しかしそこには、ボルガ川の河口デルタ地帯はない。イティル探しは行き詰まった。しかしもうひとつの研究が活路を開いた。カスピ海の水位の変化に関する研究報告が見つかったのだ。それによるとカスピ海は不思議な水位の上下を繰り返していることが分かった。この報告が正しいとすると、イティルがあったとき、カスピ海の水面は今よりも10m低かったことになる。 〈中略〉 そうするとカスピ海の水位の上昇により、かつてボルガ川の河口近くにあったイティルは、13世紀頃カスピ海に没し始め、つい最近、水位の下降とともに再び姿を現している可能性がある。」

「これまで200年間も幻のイティルを探していた人々が成功しなかったのは、現在のボルガ川の河岸を探していたためだったのだ。私たちは地図の上に、マハチカラから240kmの線を描いた。その地点の地図の上には、見えるか見えない小島があった。チスターヤバンカ島である。ここにイティルがあると私たちはにらんだ。」

●1992年7月14日、広河氏とマゴメドフ教授ら一行は、首都イティルがあるとにらんだ「チスターヤバンカ島」を目指してマハチカラ港を出港。彼らはそこでにらんだ通りのものを発見したという。

「上陸したところは土手のようになっていた。なんとこの細い部分しか水の上に残っていない。衛星写真や地図に記載されているのより遥かに小さい。カスピ海の水位は再び上昇を始めていたのだ。しかし、この土手にのぼってピンときた。同じ幅と高さで長く続いている。今まで幾つか見たカザールの防壁と酷似しているのだ。」

「16日から北と南の土手で発掘を開始した。北のほうを調べに行くと、マゴメドフ教授が大声で呼ぶ。彼が指す方向には間違いなくクルガン(古墳)群が丸い頭を見せている。それは東の防壁の外にあり、数はちょっと見ただけでも数百はある。」

●興奮に包まれる彼らは、すぐさまヘリコプターを呼んで、空からの調査を開始したという。「防壁は明らかに人間の手で作られた多角形を見せ、特に南部は複雑な形になっていた。王宮の部分かもしれない。とにかく大発見だ。この段階で、イティルはほぼ見つかったと確信した。」

●翌17日、彼らは防壁の発掘を開始した。が、湧き出る水に妨げられて掘り進めなかったという。

「もうそろそろ防壁の基盤に出合うと思う頃、念のためシャベルを打ち込んだら、すぶずぶと根元まで埋まっていった。みんなは絶望的な目でそれを見た。私は中止を提案する教授と対立した。マゴメドフ教授は、チスターヤバンカがイティルであるということが分かったから、目的は達したと言う。私は、それは確率が高いものの、まだ仮説に過ぎない。仮説を実証するのが考古学者ではないのかと反発した。」

●19日から広河氏一行は海中調査を開始。複数の発掘ポイントに鉄のパイプを打ち込んで、どの地点も水面から2m下で鉄パイプが動かなかったという。

「一番底から古いブドウの木が出てきた。現在のチスターヤバンカにはブドウはない。確か、カザールの王からスペインのユダヤ人高官に当てた『カザール書簡』に、イティルの町の中にはぶどう園があったと書かれていたのを思い出した。 〈中略〉 教授は、北の発掘場所に続いて、南でも鉄パイプを打ち込み始めた。その結果は、北と同じだった。2m下で鉄パイプが動かなくなったのだ。間違いなくそこに防壁の基部がある。」

●無線装置の故障や、気候の悪化もあり、広河氏らは22日にマハチカラへ撤退。しかし、そのままマハチカラでカザールの最古の都市と思われる「チリユルト」の古墳に向かい、馬具や土器やカザール人の骨の発掘に成功したという。

●ところで、首都イティル発掘中、かのマゴメドフ教授はテントの食堂に発掘協力者一同を集め、旧ソ連政府とお抱えの学者たちがカザール研究を軽視して、成果を握りつぶしてきたことを批判演説していたという。

これを受けて広河氏は語る。

「確かにロシアは、ロシア・キエフ公国に起源を求め、それ以前にカザール帝国という文明国の影響を受けたことを認めたがらない。」

「このカザールは世界史で果たした大きな役割にもかかわらず、ほとんど知られてこなかった。ビザンティンと同盟して、ペルシャイスラム・アラブ軍の北進を妨げたのである。カザールがなかったら、ヨーロッパはイスラム化され、ロシアもアメリカもイスラム国家になっていた可能性が高いという学者も多い。」

「……しかしカザール帝国の“ユダヤ人”はどこに消えたか。ダゲスタンには今も多くのユダヤ人が住んでいる。彼らはコーカサス山脈の山間部に住むユダヤ人だったり、黒海のほとりからきたカライ派ユダヤ人の末裔だったりする。このカライ派ユダヤ人たちは明らかにカザールを祖先に持つ人々だと言われている。そして彼らはカザール崩壊後、リトアニアの傭兵になったり、ポーランドに向かった。 〈中略〉

私はチェルノブイリの村でもユダヤ人の居住区の足跡を見たし、ウクライナ南部では熱狂的なハシディズムというユダヤ教徒の祭りに出合った。『屋根の上のヴァイオリン弾き』はこの辺りのユダヤ人居住区『シュテートル』を舞台にしたものだが、この居住形態はヨーロッパ南部の『ゲットー』という居住形態とは全く異なる。そしてこの『シュテートル』がカザールの居住区の形態だと指摘する人は多い。」

「ところで、カザール帝国消滅後しばらくして、東欧のユダヤ人の人口が爆発的に増えたのはなぜかという謎がある。正統派の学者は否定するが、カザールの移住民が流入したと考えなければ、この謎は解けないと考える人が意外と多いのだ。 〈中略〉

現代ユダヤ人の主流をなすアシュケナジーと呼ばれるユダヤ人は、東欧系のユダヤ人が中心である。神が約束した地に戻ると言ってパレスチナユダヤ人国家イスラエルを建国した人々も、ポーランドやロシアのユダヤ人たちだ。 〈中略〉 カザールの遺跡には、現在に至る歴史の闇を照らす鍵が隠されていることだけは確かなようである。」