from 藤井聡AD2014.04.09(TUE)
FROM 藤井聡@京都大学大学院教授
喉のポリープ手術で10日弱、ゆっくり病院で過ごしたこともあり、普段なかなか出来ないことがいくつかできました。
その内の、最もジャンク(w)なものが、漫画を読むこと。我が家の中2病の中2の息子が(ただし、昨日から中3になりました!)、今はまっている漫画が「ノラガミ」という漫画で、お見舞いにこの漫画を10冊もってきました。
「なんだかなぁ」と思いながら、眠る前にさくっと斜め読みしたところ、(まいどのコトで恐縮ですがw)これが凄まじく面白い。ついつい、一日、夜更かししてしまいました。
これは、野良犬、野良猫の様な、野良にいる神様(だから、ノラガミ)のお話。
その基本的な設定は、この人間界には、普通の人間には見えない「妖し」(あやかし)がウジャウジャといて、コイツが人に取り憑くと、「魔が差す」状況になり、いろんな悪さをしたり、自殺したりしてしまう....というもの。
で、この「妖し」(あやかし)、最初は、「取り憑かれる」のですが、そんな状態が続くと、その内、その人間そのものがアヤカシになっちゃうのです。そして、「妖し」(あやかし)になると、人間社会の中で人から(というか、親から)与えられた「名前」が消えて、正真正銘の「ヒトデナシ」(人で無し)になってしまいます。
いやぁ.......この設定、ホントに良く練られたモンだなぁ、と感心します。
よく周りを見回してみてください。
アヤカシに取り憑かれた奴や、「こいつ、モロ、アヤカシじゃん!」、な輩、多くないですか(笑)?
ちなみに、そんなアヤカシに長らく取り憑かれると、自分でカラダをコントロールする機会がなくなっていって、結局、心がカラッポになっていきます。
で、そうやって心がカラッポになれば、立派なアヤカシなる。
で、そうなると心が無くなるので、良心も恥も何も無いですから、いくらでもウソをつくし、口から出る言葉のほとんど全てが詭弁ばっかになって、詐欺まがいなコトばかりやり始めます。
ただ、面倒な事にこのアヤカシさんたち、洋風の「悪魔」みたいに、「この世全体を的(x::的、◯::敵)に回してやるぜぇ、へへへへ」な根性はぜんっぜんなく、兎に角、この世間の流れに取り入ろうとします(なんつっても「取り憑く」のが、アヤカシさんの専売特許ですからw)。だから、なかなかぱっと見ではバレない。
特に、上司だとか社会システムだとか人気者だとか権力者だとか総理だとかに媚びに媚びまくり、自身がアヤカシであるコトがバレナイために全力を投入します。
だから、一般に身なりもよく、髪型もきちんとしてて、きちんとしたスーツをきて、きちんとしたメガネなんかをかけてたりして、話し方も「きびきび」としてたり、ぱっと見「さわやか」だったりします。
つまり、詭弁ばっか吐いてるし、詐欺まがいのコトばっかやるんですが、警察のやっかいになるようなことは絶対にやらない。っていうか、上司や権力者から目をつけられる様なことをしないどころか、逆にちょっと気に入れれる様なコトにもなって、社会の中で一定の信頼を獲得しちゃって、それなりの地位や収入を得ちゃう、という構造があるんですねぇ。。。。
いやぁ。。。。子供の頃から「悪魔」についてはよく感じたり考えたりしてきましたが、このアヤカシさんの生態については、ほとんど理解してなかったなぁ。。。とつくづく感じます。「嫌いな奴」は山ほど居ましたが(笑)、その背後にアヤカシが暗躍してたなんて、露知らず.....でありました(苦笑)。
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ちなみにこのマンガ、実存主義や大衆社会論、アレントの全体主義論や「悪の凡庸さ論」なんかを、凄まじく分かりやすく、それこそ中2病のガキ共にもストレートに伝える構成になってる......何ていう風にも言えるのですが、実は、そんな西洋の超弩級の哲人達を「超えた」ものでもあります(!)。
なんといっても、このノラガミは、そんなアヤカシを「やっつける」、っていう、極めて実践的な問題まで、取り扱っているからです!
こりゃもう、筆者が「大衆社会の処方箋」でやろうとした仕事と同じじゃん!!なんて一人で勝手に悦に入っていたのですが(お恥ずかしい w)、そのアヤカシ撃退法には、二種類あります。
第一は、禊ぎ。これは、取り憑いたアヤカシを打ち払うアプローチ。ただ、これは、命がけで、ミソグ方もミソガレル方も、命を落としかねません。何と言っても、「禊ぎは身削ぎ」だからです。
でも、これが有効なのは、もちろん、取り憑かれた方が名を無くして、アヤカシさんになる「前」だけ。だから、普通はせいぜい、二十歳そこそこくらいまでしか、本格的な「禊ぎ」アプローチは有効ではありません。それを越えると、おおよそ、立派な名無しのアヤカシさんになっちゃってるからです。
じゃぁ、そんなアヤカシさん達にはどうしたら良いかというと.....そりゃもう、「たたっ斬る」(!)しかないんですね。 もちろん、「おぞましい暴力」でなくて、清められた精神の発露としての「武」の力で、ですが。
・・・・
でもこれって、このヘイワケンポウな世の中、なかなか絶望的な結論じゃないでしょうか(苦笑 なんつったって、我が国は巨大なブキコな訳ですから。。。http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html )
ちなみに、このノラガミの第一のアプローチである「禊ぎ」についての哲学をどうにかまとめたい。。。。ってことで出したのが近著、「大衆社会の処方箋」でありますが、この「武」のアプローチについては、今、まさにその考えを深めたい。。。と丁度思っていた所でした。ですから、このマンガ、かなりツボにはまった次第ですw
アヤカシさんって、要は、一見立派そうに見えるけど、詭弁ばっか吐く詐欺師ヤロー、っていうコトで、ハッキシ言って、今のビジネス界や政界や官界、あろう事か、アヤカシから逃れるための世界であったはずの言論界や学会、はてはドマイナー世界であるネット界のど真ん中にまでしゃしゃり出てきているのが実情です。
でも、こうしたアヤカシのヤローの皆様ガタには、「言論」で闘ってもなんら意味がありません。
なんつったって、心が無い詐欺師な訳ですから、言葉での論戦や討論が意味を持つはずなど、微塵もないのです。まっっこと、厄介な話です(そういえば、お気づきの方もおられたかもしれませんが、過日、その実例を実演差し上げた積もりでありましたが。。。。。。お分かりにならなければ、もちろんそれで結構ですw)。
で、まだお若い方々なら「禊ぎ」アプローチも可能ですが、それが出来るのは、大学とか研究室とか、そういう若い人を対象とした教育機関や家庭だけ。一般社会では、ましてや、30や40を超えて立派なアヤカシさんになられた方々には「無理」ですし「無効」です。
だから、この世の中、もうちょっと清めたい.....と願うのなら、「武」の力をナントカ拡大していく他に方法はないんですね(ちなみに、ノラガミは、そんな庶民の願いを、5円のお賽銭で引き受けてくれる、という、とても有り難いお話でしたw)。
ちなみに、日本刀に象徴される「武」の力ですが、それはあくまでも「概念」であって、その具体の形は、「人事的」「社会的」「政治的」な力の行使(追放や制裁、等)を含むモノですが.....そのあたりはまた、じっくり考えて、何かの形で発信して参りたいと思います。
そうそう、このノラガミではメインテーマとはなっていませんが、このアヤカシを打ち払う方法が、もう一つあります。
それが、「笑い」です。
何と言っても、「笑う門には福来たる」(笑)。
これもまた、思想哲学的にはややこしいテーマですが、ラッシャーのマイクアピールやら、中邑のコシクネダンス「ヤォッ!」やら、最近恒例になってしまった水曜の朝の北じゃなくて西じゃなくて南じゃなくて。。。あのほれ。。。。等々を拝見しながら(&アヤカシに取り憑かれないように、日々、気をつけつつw)、またぼちぼち考えて参りたいと思います。
では!
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